就職活動で上京する際に理解しておく3つの話
「就職を機に東京に就職したい」という人は多いだろう。東京にしかないマーケットや東京が圧倒的に優れているビジネスは多く、志高くファーストキャリアを目指すのは、必ずその人の挑戦という財産につながる。
しかし、地方に住んでいる学生からすると、ほとんどの人が「東京に行ったことがない」「旅行ぐらいでしか東京に行ったことない」という状態だろう。地理感や知っている人がいない環境で過ごすのはとてもストレスがかかる。そこで、地方の学生にとって東京に上京する際に、多少なり理解しておいた方がいいポイントを列挙したので参照してほしい。
予算は大丈夫か?
私も九州・大分から就職を機に上京したが、なんせ就職活動にはお金がかかった。交通費、宿泊費はもちろん日々の食事代もかなりかさんでいた。
私の場合、おおよそ就職活動の面接や選考で1回につき、1~2週間ほど滞在していたが、ざっくり計算してみても
交通費:20,000円(飛行機、LCC)+700円(選考会場の移動/日)
宿泊費:2,000円(ネットカフェ)
食事代:1000円(1日、飲み代抜き)
1週間いるだけで5万円近くは消費することになる。もちろん就職活動の準備にスーツや参考書を買っている人もいるので、何回も上京して選考に参加するのであれば、それ相応の貯蓄が必要になる。学生時代からコツコツとアルバイトや仕送りのお金を貯金し、無駄遣いしない習慣も必要だろう。
カード類も買いそろえる必要あり
地味なことだが、就職活動特に上京する際にはカードをそろえるのも重要だ。
東京や大阪は電車移動が多く、そのたびに切符を買うのは時間の無駄になりかねない。また大きい駅だと改札口が複数あり、切符売り場がその改札近くにあるとも限らない。スムーズな移動が時間のロスを防ぐので、ICカードはできるだけ買っておくのがいいだろう。またICカードはコンビニでも使えるので、そのあたりも利便性が高い。
クレジットカードも必須だ。上京する際の移動手段として飛行機や高速バスを使うケースが多いが、決済するときにクレジットカードは非常に便利だ。コンビニで現金決済するのもありだが、クレジットカードでの決済の方が早い。
東京の知人と仲良くしておくこと
就職活動は情報合戦だ。地方組は総じて東京の学生に比べて、最新の情報が取りづらい傾向にある。本当に大切な情報はネットに気軽に乗っていることもなく、細かい選考の内容は実際に選考を受けた人に確認するのがいいはずだ。大学や地元の先輩が就職しているのであれば、彼らに確認するのもありだし、そのような人が居なければ選考やインターンシップを通して作った友人に確認するのもいい。
私も知り合いに東京に就職した人が少なく、最新の情報を確認するのが難しかった。しかし数少ない友人と理解を深めたことで、厳しい状況を打破することができた。彼らとは今でも親交があり、就職期間中は泊めてもらうことも多く宿代も節約できた。
まとめ
就職活動は総じて情報合戦で、地方学生はどうしても最新の流れに乗れないこともある。早めに動き出しても後れを取ることもあるかもしれない。選考で知り合った友人は大切にすることで末永い付き合いをすることも、上京する際の就職活動を円滑に進めるポイントになる。
まだ新卒紹介で消耗しているの?人生100年時代では争ってでも求人型で採用は勝ち取れ
「新卒3年以内の離職率が3割」なのでミスマッチを無くしましょう、というフレーズを何度も聞いてきた。しかも離職率3割の状況は30年以上も改善されておらず、採用に関わるような業務(人材業界)に携わる人らは、志高くミスマッチを無くすために躍起だ。実際に私も先日退職した会社は、業者の紹介で入社しており、実際にその有用性を肌で感じ、大学の卒業論文も経営学の観点から人材紹介のビジネスモデルについて研究していた。
卒業論文を書いたのも、前職に就職していたのも2年以上前であったが、情報のアップデートがたくさん行われている。果たして、人材紹介のビジネスモデルは今でも参照されるべきなのだろうか?
人材紹介とは
新卒の就職活動は現在は求人型モデルが一般的だ。企業と求職者の間に立ち、webや紙などの媒体に求人を作成・掲載する対価として、企業から報酬をもらうビジネスモデルである。一方の人材紹介は、形態こそ様々だが求人での紹介ではなく、直接企業と求職者をつなぐビジネスモデルだ。報酬は求職者が採用されることで生まれる成果報酬で企業から業者に支払われる。
以前までこのビジネスモデルは中途市場においてのみ用いられていた。しかし、働き方に留まらず、生き方そのものに多様性を用いる社会観により、新卒の採用も多様性が重んじられるようになり、新卒紹介の需要は増してきた。さらに企業の選考期間の開始時期の変更が何度もあり、早期からの就職活動を行うことが増え、就職活動に後れを取る学生の渡り船として、新卒紹介のビジネスの需要は増している。
人生100年時代がもたらす功罪
確かにミスマッチを避けようと新卒紹介の需要が増していたのが2年前だった。しかし、時代の移り変わりは早い。そもそもの企業の採用スタンスにも変化が生まれようとしていた。
既存の新卒の採用活動は「ポテンシャル採用」と考えられ、「何もスキルがない」学生を学生時代の経験を生かして、適職を働きながら見つけてもらうのが主なスタンスだった。一方、近年推奨されているのは「いかにどんなスキルを身に付けられるか」に変わってきている。営業、経理、PCスキル、資格、経験などその会社・業務でどのような力を身に付け、次のステップに進むのかが重視されている。
もともと転職する際に「どのような経験をお持ちですか?」と問うことに対し、どのような実績を上げてきたのかを掲示するためではあったが、このトレンドは若年層にも流れてきており、むしろファーストキャリア(新卒)として、どのような企業で働くのかが問われるような時代に突入している。
ファーストキャリアこそ挑戦するべき
おそらく新卒紹介のビジネスモデルが発展する青図は、ポテンシャル採用が前提で最初に入る会社でいかに長く勤めあげるか、そのためにより求職者に合う企業を紹介する名目だったが、売り手市場である景気状況も作用して、転職することも恥ずべきことではないというトレンドになっている。有用性はあるが、前提条件が変わり通用しないスタンダートになりつつある。
では「スキル」を重視される今の時代においては、どのような企業を選ぶべきなのだろうか?
それは、「新卒でしか入れない会社を選ぶべき」となる。端的に言うと、同じ業務を行うのであれば、大企業に入るべきだ。大企業→中小への転職は容易だが、逆のパターンはまだあまりスタンダードとは言えない。いつまでもこのスタンダードが変わらないとは言い切れないが、少なくとも中途採用を積極的に行わず、新卒採用がほとんどという企業があるので、そのような企業に挑戦するべきである。
となると実は今までの求人に掲載されているような企業がターゲットとなり、最終的に多くの学生と選考を争うことになる。しかしもし実際に採用されれば「大企業の箔」がつき、一つの実績をつくる。
決して進むべきキャリアに正解はないが、今後できない選択であれば、いま行うべきである。新卒紹介は確かに有用性は高いが、これからの時代に合うかと言われると、どちらかというとナンセンスに近い。
複業・独立、個性的な人間を目指すには、「100万分の1」の知識・経験で、圧倒的差別化を図るべき理由を書いた
100万分の1。およそ日本の人口の100分の1だ。もしあなたが何かの分野で日本のTOP100選などに選ばれるならば、大変光栄なことではないだろうか?もしそんな才能を抱えているのであれば、希少性のある人物であるのは間違いないだろう。
そういうと100万分の1の人物になるのは、いささか腰が引けるという人もいるかもしれない。別に悪いことではない。私もなにかの分野でいきなりTOP100選になれと言われても、相当悩むしなかなか実践できるとは思えない。
しかし、理論上は不可能ではない。というのもいきなり100万分の1を目指すのは、宝くじに当選しろというぐらい難しいはずだ。上記のリンクのように、
(100万分の1)=(100分の1)×(100分の1)×(100分の1)
と表記して、才能や経験の掛け算で有益性を生み出そうとしている。そして、100分の1の才能とは1万時間かければ習得できるとも言われている。
だがそもそも、時間をかければ習得できる技術など本当の技術といえるのだろうか?昨今、1年で寿司職人として開店独立できる専門学校(https://www.tsagroup.jp/)だったり、「1年で通常の3倍もの経験が積める」という採用フレーズがヒットしているベンチャー企業だったり、時代の流れの速さを汲むならば、「いかにその技術・経験を早く習得できるか」は1つ重視すべきKPIなのかもしれない。
冒頭に述べた通り、いきなり100万分の1の才能を探るのは難しい。さらに、100分の1の才能のために1万時間割くのも難しい。そんなあなたにこそ、おすすめできる解決方法がある。
10分の1の才能を活かそう
(100分の1)=(10分の1)×(10分の1)
まずは、この数式を意識してほしい。10分の1を目指すのはさほど、難しくはないはずだ。
分かりやすく学校のクラスメイトで考えてみる。だいたいの学生が小中高で1度なりは30人クラスを経験したことはあるだろう。クラスメイトで置き換えると、10分の1とは「クラスに3~4人ほどいる何か変わった友達」なのだ。
クラスを仕切っ威張るやつ、テストの成績でいつも上位3位に入っている奴、いつも読書しているやつ、また個性がなくても1つのクラスに同じ部活の友達がいなかったという人もいるかもしれない。それも立派な「10分の1」になりうる。これは社会人に置き換えて、部活→職場と考えるならば、あなたの働いている職場も世間から見ると少数派で「10分の1」になる(既に100万分の1を突破しているかもしれないが、あくまで会社という法人が100万分の1であって、個人の個性として考えるには援用しすぎである)。
大人になっても、同期の中で業績だけでなくても、知識量や営業力・事務遂行能力など、目指そうと思えば何かしら「10分の1」になるのは可能である。最悪、直接業務に関係なくともあなたが「10分の1」を目指そうと努力したことには何かしらの意味があってからこそだ。自分の特性や実績が将来全くつながないと考えて、その才能を否定するのは、いままでの自分を否定することにもなる。過去がつながって現在・未来につながるように、今までの自分を否定せずに肯定する勇気も必要だ。
100分の1につなげる方法
おそらくここが一番難しい。なんせ、「10分の1」を乗り越えた人間の集まりこそが、「100分の1」でここまで築き上げた才能・経験も、みんな持っている段階から始まるのだ。
同じように学校のクラスメイトで考えるならば、1学年250人の中で2~3人、1000人いれば10人ほどの才能だ。正直、ここは自分1人の力ではどうにもならないときもある。このようなときに大事なのは、「周囲や競合の状況」になってくる。
クラスメイトのことは毎日顔を合わせるだけに、何かしらわかってくることもあるだろうが、ほかのクラスの人のことは意識してみないと分からない。マネジメントの世界でも100人を超える組織でも、リーダーは階層ピラミッドの頂点にいるにも関わらず、メンバー全員のことを直接把握・指示するのは難しいはずである。100人の中で何か突出するには、今までの自分の力を磨くだけでなく、周囲の状況を確認して自分の強みを理解し、それが社会的にどこまで通用するかを考え研鑽し続けること、そこからさらなる才能を組み合わせるのか、1点突破で100人の中で本当の頂点を目指すのかを考えるべきである。
関連性を持った掛け算をすること
100分の1の才能があれば、次は刀・武器をどんどん増やしていくのみだ。
(ITスキル)×(金融知識)×(コンサルタント)=(Fintechの専属コンサルタント)
(サッカーのうまさ)×(ライティング)×(コーチング)=(サッカーのブログコーチ)
など、自信の才能を組み合わせるだけで、今までにない職種も実現できる。
ただ、必ずしも100分の1の才能が3つあればいいとは限らない。全く関連性がなかったり、不可逆性が強すぎて援用できないものは難しい。例えば、野球でもサッカーでも日本代表級の能力があったとしても、使える身体は1つなので得られる成果も限られる。自分の才能をどう向き合い組み合わせるのか。「100万分の1」の世界まで来ると、ほかに追随する人も少なく頼れる人も限られてくる。いかに「10分の1」「100分の1」の力を習得する際に、どこまで「100万分の1」になる自分をイメージできているのかも重要だ。
まとめ
複業や独立など様々な働き方が叫ばれている昨今、差別化を図ること、その人にしかない知識・経験を持つことにフォーカスされ始めている。旧体質の企業で定年まで働いていれば安心という時代は終わり、マネタイズ・労働問題において非常に注目が集まっている。
時代の先駆者がいれば、必ず追随者・二番手がいて知識や情報がアップデートされるように、現状「100万分の1」の才能も気が付けば、社会のスタンダードになっている将来は考えられる。代替性の低い知識・経験も追随されないには重要である。
「ボルゴグラードの忖度」でポーランド戦を語るのはまだ早い。
いかにもこのブログの大タイトルに合う試合が起こってしまった。先日のW杯の日本とポーランドの試合だ。通称「ボルゴグラードの忖度」とも言われ始めている。
6月28日日本時間23時キックオフ。グループHの最終戦で勝ち点4の日本代表は勝ち点0のポーランドとの対戦になった。
W杯前での評判は、FIFAランク8位のポーランドに対し、同ランク61位の日本代表は苦戦を強いられるというのが大方の見方だった。しかし、初戦で同ランク12位前回大会ベスト8のコロンビアに2-1で勝利すると風向きは大きく変わる。続くセネガル戦も2-2で引き分け、試合が始まる前は暫定でグループ1位をキープし、サポーターの期待を大きく背負って第3戦を迎えることになった。
スタメン6人を入れ替えだけではない敗因
ここで、試合前の状況を整理する。
グループH(勝ち点、得失点差)
1位 日本(4、+1)
2位 セネガル(4、+1)
3位 コロンビア(3、+2)
4位 ポーランド(0、-5)
日本は最終戦のポーランドに勝利or引き分けで無条件で決勝T進出が決まり、もし負けても2位のセネガルの結果次第で突破が決まる大いに有利な状況だった(セネガルが勝利すれば日本も予選通過。引き分ければ、予選敗退。コロンビアが勝てば、セネガルとの得失点差によって決まる)。そしてここまでの試合で勢いづいている日本には、まずこの試合で負けると予想するものは少なかった。
W杯前最後の壮行試合でパラグアイに4-2で勝利したメンバーをもとに構成されていたコロンビア戦・セネガル戦とは大きく変わり、攻撃陣を中心にスターティングメンバーを6人入れ替えた。メンバー変更した理由としては、主力の休養が考えられる。W杯は1か月の中で最大7試合続く。試合間隔も中3日ぐらいしかなく、しかも勝ち進むごとに相手のレベルは上がるため、このようにある程度勝ち進むことが決まっている状況では、メンバーを入れ替えれることも他の強豪国では多い。
しかし、今回は入れ替えたメンバーによって試合内容が良くなかった。まず、プレーにスピード感が失われている。もし攻めているとき、日本人はきれいに攻めてゴールを決めたがる。そのせいか、シュートが打てるはずなのにキープしている、打たずにパスしたというケースが多かった。
そして後半14分、ポーランドのFKから足で合わされ先取点を与えてしまう。0-1。一方のセネガルvsコロンビアは0-0でこのままいくと、日本は予選敗退となる。ここまで必死の思いでグループステージ突破に向け視界良好だっただけに、焦りの色が見え始める。
しかし、コロンビアが後半32分にCKから先制点を決め、セネガルとの得失点差の勝負になる。スコアはこのまま動かず、日本が0-1で敗れ、セネガルも0-1で敗れた。問題のシーンは後半の35分過ぎだ。
重要な選択を迫られた日本代表
後半35分、残り10分の段階でセネガルとの得失点差の戦いになるが、ここでは互いの得失点差は̟±0、総得点も互いに4、お互いの直接対決も引き分けと甲乙つけ難い状況だった。レギュレーションでは、「フェアプレーポイント」という警告(イエローカード)の少なさで争うという聞き馴染みのない判定方法が用いられる。日本がここまで警告4回なのに対し、セネガルは6とここで日本が優勢になる。しかし、1点入るだけで大きく状況が変わるここで、いまひとつ効果的な手を日本の西野監督は打てずにいた。
何よりも「他力」でグループ突破を決めないといけないのが「プライドとして許さない」のがあった。ここまで勝ち点4でグループ首位、戦前の予想を大きく翻し、あと1点さえ取れれば自力での決勝T行きを決められる。日本人、漢ならば勝負をすべきだと、多くのサッカーファンは思っていただろう。
しかし、試合内容はとても同点ゴールを決められる雰囲気ではなかった。6人入れ替えた先発陣では攻撃の迫力を欠き、交代枠も3人までで効果的な戦術転換もできずにいた。さらに試合会場のボルゴグラードは現地時間19時前にも関わらず、40度近い容赦ない暑さが選手の体力を奪っていた。この段階で交代枠は残り1つ。攻撃的、守備的に舵を切るならこの交代のタイミングが全てだった。
西野監督は決断が早かった。後半37分に控えで温存させていたキャプテンの長谷部を投入し、中盤の人数を1枚増やして厚くした。同時に「このままのスコアで試合を終える」という西野監督のメッセージ付きだった。
スッキリしない結果に終わる
最終戦勝っても決勝Tへ進めないポーランドは無理に攻める必要はなかった。むしろこの暑さの中、体力を消耗してカウンターを食らい同点にされる方が恥だった。それは、日本も同様だ。日本は最終ラインで攻めずにパスを回して時間を稼ぐ。ポーランドも無理にはボールを取りに来ない。次第に会場からはブーイングが鳴り始める。お互いの状況を気遣うその様は、このブログでも用いられている「忖度」と揶揄された。
一方の同時進行していたセネガルvsコロンビアの試合はセネガルが猛攻を仕掛け続ける。このままいくと予選敗退のセネガルは勇猛果敢にコロンビアゴールを狙い続ける。いつ点が決まってもおかしくない状況だった。
試合はこのまま終わった。日本がポーランドに0-1で敗れ、コロンビアがセネガルに1-0で勝利した。最終的にグループHは1位がコロンビア、2位が日本という結果になった。試合後のインタビューでも西野監督は「戦略的なものだった」と終盤消極的になった試合を形容している。
完全に二極化したサポーター
試合を視聴していた多くのサポーターがつまらなさを覚えただろう。なんせ攻める気のないチームの応援なんて正直したくないし、いうなれば戦場で敵に背を向けて後退の陣をとっているそんなありさまだろう。
試合後、徐々に日本代表の戦いを擁護する声が出てき始めた。私も正直、攻めない形をとった日本代表の試合ぶりに落胆はしていたが、同時に仕方がないという思いもあった。まずは、偽善でなぜ最後まで攻めなかったのかと煽るサポーターには落胆していた。
実は日本代表の試合で同様のケースがあったのはこれ限りではない。昨年のU-20W杯(バルセロナの下部組織でプレーする久保建英やオランダで活躍する堂安律が活躍し、ベスト16に進出していた)で、予選リーグの最終戦、イタリアと対戦していた日本は、堂安のゴールなどで2-2と善戦していた。この試合は、イタリアも日本もこのままのスコアで行けば、決勝Tに進める状況で、むしろどちらかがゴールを決めると決められた方が予選敗退する可能性を残していた(参加24チームを4チームずつ6つのグループに分けており、グループ3位になっても予選突破の可能性があった)。日本のここまでの戦績では、次のラウンドに進む条件を満たしており、強豪イタリアにも引き分けで善戦しているなかで体力の消耗は避けたかった。
互いに無理して攻めない試合内容に、このときも会場からブーイングが起こったが、選手たちは何食わぬ顔でプレーした。彼らは決勝T1回戦でイングランドと対戦したが、0-0のPK戦の末敗退となったが、このあとイングランドは優勝を果たした。さらに唯一得点を挙げられなかったのが日本戦で、さらにPK戦までもつれたのも日本戦だけだった。要は、当時のイングランド代表をもっとも苦しめていたのは、まぎれもなく前の試合で「忖度」を行った日本代表なのだ。
このような経緯があったからこそ、私は今回の日本代表の戦い方は否定しなかった。むしろ正しい選択だった。
何か重要なことを忘れていないか?
しかし、この忖度討論をここで終わらせるのは聡明ではない。なんせ、本当の戦いはここからなのだ。まず、「日本代表よくやった」と称賛するには早すぎる。
まず、主力を温存させてまで戦った故に、決勝T1回戦のベルギー戦はフレッシュな状態で戦える(守備陣は休みなく戦うことになるが、少なくとも攻撃陣の疲労は軽減されているはずだ)。お世辞にも褒められる試合を見せられなかった西野監督の戦術だったが、戦略が功を奏している。だからこそ、コロンビア戦・セネガル戦のメンバーに戻し、サポーターに恥ずべきでない試合をするべきだ。次はトーナメントで、目の前の相手のことだけを考えればいいので、前述のような無駄な忖度は必要ない。
もう1つサッカーファンでも忘れている人もいるだろうが、日本代表には「2050年までにW杯で優勝する」というJFAの目標がある。トルシエ監督のもと、日本中が熱狂した’02年の日韓ワールドカップ、岡田監督のもと逆境をはねのけベスト16に進んだ’10年の南アフリカワールドカップ、あれから日本はまだベスト16の壁を破れていない。途中、代表の成績が振るわない、世界各国の脅威を目の当たりにし、委縮する時代も見受けられたが、課題はあるものの現段階で日本のサッカーが他の国に完全に劣っているのだろうか。完全に劣っているような国が、ベスト16に進めるのだろうか?
今、多くの日本代表選手は欧州のトップリーグで、常に世界の最前線の戦いで磨きもまれている。守備陣も長友、吉田、酒井宏を中心にワールドクラスの選手と互角に戦える実力を身に付けている。以前、本田が「個の力」の欠乏を嘆いていた時代もあったが、代表選手のほとんどが海外選手で構成されている昨今は、確実に個の力は向上している。ワールドクラスの進歩に後れをとることもあるかもしれないが、今その後れを取り返す絶好のチャンスだ。
評価するのはまだ早い。次の試合をしっかり応援すること
対戦相手のベルギーは確かに強い。各ポジションにワールドクラスの選手が集い、とても簡単に勝てる相手ではない。しかし、ベルギーも最近FIFAランクが上昇して世界の強国に仲間入りしているだけで、W杯での優勝経験もない。今大会の勝ち上がりも危なげがないが、それゆえに慢心もあるはずだ。ここまで無失点で勝っているだけに、先取点をとれば慌てふためくシーンが目に浮かぶ。
ベルギーとは通算成績も日本の2勝2分1敗と勝ち越している。最近の試合では去年0-1で敗れたものの、’02年の日韓W杯では2-2で引き分け日本にW杯初の勝ち点を献上してくれた縁起の悪くない国だ。
何よりも日本は8年越しで過去のW杯の成績を覆すチャンスを得た。ここまでもそうだが、チャレンジャーなので失うものはなにもない。もし、無様な試合をして西野監督の采配に泥を塗ることがあっても、少なからず今後の日本代表の成長の糧になる。そしてもし主力が力を出し尽くし、ベルギーに勝つようなことがあると、日本国内が歓喜に包まれるのは間違いない。「忖度」なんて言葉は闇に葬られ、西野監督・日本代表に称賛だけが与えられるに違いない。
主力の1人の香川は、よく自らを鼓舞すべくSNSで「#さあここからや」というハッシュタグをつけていた。今、その言葉を日本から遠いロシアで戦う彼らに発信すべきだろう。
#忖度 #ボルゴグラードの忖度 #日本代表 #W杯 #さあここからや
メッシのようなスーパースターはビジネスでは必要なくとも、興味は惹きつけられてしまう
スーパースターに頼っても勝てない時代になってきている。メッシ率いるアルゼンチンはW杯でグループリーグ敗退の危機だ。一方でCR7はチームの全得点を叩き出し、得点王グループリーグの突破も迫っている。バルセロナで輝くメッシの姿と明らかに異なる代表のパフォーマンス・実績は常に議論の対象になっていた。
ビジネスにはスーパースターは必要ないのに、、、
話は逸れるが、前職の財務が会社の現状を憂いて「今の会社は何人かの(営業の)スーパースターで勝っているだけだ」と形容している話をしたことがある。会社の基盤を固めないといけないフェーズだったのは事実だが、要は下の世代が育っていないということだった。
個人的には会社のつまらないことだと思う。ビジネスモデルがある程度軌道に乗ってきたら、反復できるようにシステムの構築を考える。そして組織がつぶれないように、新しいビジネスモデル・収益性を考え実践する。
サッカーで形容するばかりになるが、このようなチームは面白くない。まず、確たる新しい戦略を考える。実践して強いチームに勝ち続ける。いずれ他者の模範となり、2番手以下が現れても追随を許さない確固たる強さを見せつける。バルセロナやイタリア・ドイツなどサッカーの強国はいつもそうだった。
つまり組織として先に「こういったことを実現したい」と宣言したうえで、実現・反復できる組織できる方がカッコいい。生きるのにカッコつけている場合ではないという声もあるだろうが、カッコつけられない人生なんて、ほかの大多数と同じで存在しなくても間に合う。何かコンセプトがあったうえで実現できるチームはカッコいい。たとえ手段が不格好であっても。
ビジネスではこうはいかないのに、、、
だがらこそ、一般的に「こうすればいい」というものに反抗し、成果を目指す者に時折人の心は惹かれる。冒頭のメッシ率いるアルゼンチンはその最たる例だ。
個人的にはアルゼンチンが優勝するとは思わない。しかしあまりにもメッシ中心すぎる戦術に興味がそそるのだ。時に行き過ぎた思想が人の心を打つように。
今のアルゼンチンの現状を見ると、攻撃陣にタレントが揃い過ぎている。控えまでワールドクラスで、正当に評価すればメッシを外した方がいい時もあるではと組織を疑う。しかしそれでは機能しないのが今のアルゼンチンなのだ。メッシを外した瞬間、肺か腸か脳かを失ったかのように、自分たちが何をすればよいのかを忘れるありさまなのだ。
チームでそうすると決めているのか、メディアがメッシを取り上げすぎて神格化している彼に触れられないのか、その真意は不明だが、とりあえず愚直にスーパースターを活かそうとする姿勢には敬意を評する。
そこがスポーツとビジネスの違いなのかもしれない。メッシはCR7と時代を牽引し続けてきた地球が誇るスーパースターの1人だ。アルゼンチンはW杯で優勝こそあるが、もう30年も前のことだ。当時は今はまるまると太ったマラドーナが「神の手」と「5人抜き」でチームに栄冠をもたらした。メッシはそれ以来の栄光をもたらすのではと期待されている。それほど彼のキャリアには称賛されるべきターニングポイントがあり、国民は彼に期待しているのだ。メッシもマラドーナもともに左利きのドリブラーだ(だった)。しかし同様の選手にも関わらず、世界に現れる左利きのドリブラーは、○○のマラドーナやマラドーナ2世ではなく、○○のメッシやメッシ2世と形容される。それほどに彼の存在感は大きい。
1人のスーパースターが組織に留まらず、国を動かし、世界の興味を惹きつける。
環境をリセットした
先日、新卒から2年と少し働いていた不動産の仕事を退職した。今はwebの学校に行って、ブログのさらなるアップデートのためにスキルを学んでいる。のちのち、学んだことをここでアウトプットしたいな。かなり細かく教えてくれているから、今のスクールは大変おすすめ。
あと、ブログのタイトルも変更しました。
前の会社に入って一番嫌だったのは、「忖度」
去年、この言葉が流行語にノミネートされたが、どの会社でも地位や肩書のある人に対して、「忖度」するのが当たり前だろう。だが、2年働いてみてそんなもの邪魔なものでしかないと思った。「部長だから」「役員なので」そんなシステムがあるから、PJの進行は遅れるし、酒の席も楽しくない。仕事で割り切るという人もいるが、好きな酒ぐらいは気軽に飲ませろ、というのが持論の自分にはナンセンスだ。
退職するときに初めて腹を割って会社の人と話せたと感じた。むしろ、今まで本気で会社のメンバーと向き合えなかった自分が恥ずかしいし、そんな自分が信用できないところに居たら、息が苦しくなって当然だ。
noteをメインに書いていこうと思っていましたが、やはりはてなでのメディア構築力も捨てきれないので、軽いライトな記事はこっちで配信します!
「港区の上場企業、残業月20時間以内、海外事業部所属、完全週休二日制」の何がいいの?
多分他人から見ればそれなりに羨ましい仕事なのだろう。「港区の上場企業、残業月20時間以内、海外事業部所属、完全週休二日制」
決して自分で望んだキャリアではない。気付いたらこんなステータスになっていた。新卒3年目の春。字面だけ見るとカッコいい。ワークライフバランスも取れていそうだ。しかもグローバルな仕事。これのどこに不満があるのだろう?
ここ数ヶ月で仕事を辞めたいと思うのは、何度目か分からない。ただいつも共通しているのは、「人間関係とやりたいこと」だ。
別に特段嫌な人がいるわけではない。アリの群れの法則で、必ず何割か働かないアリがいるように、接していると少しぐらい嫌いになる人はいるが問題はそこではない。この人についていきたいと思う人がいないことだ。細かく言うと、その人にずっとついていくのが人事的に不可能で、自分の目星の先輩で既に多くのことを学べてしまった。つまり、この先人事配置で望むポジションはない。
もう1つ、やりたいことがない、というよりも「無理矢理やりたいと思い込んでいた」ことに疲れた。不動産投資は確かに資産の保護・増加にとても強い。初心者から上級者まで、取り組めるボリュームはあるし、おかげで不動産以外の金融資産についても勉強する習慣がついた。
ただお金の為に働くのは野暮だというポリシーを持つ自分にとって、これ以上の働きは苦しみしかない。セールスはそれが仕事だと言うのであれば、これ以上自分を誤魔化し続けると、自分が自分でなくなる。人格が破綻する。
改めて最初の段落に戻ってみてほしいが、「港区の上場企業、残業月20時間以内、海外事業部所属、完全週休二日制」別に悪くない響きだ。望んでも手に入れるのは難しいかもしれない。
それでも、自分はもう1歩先に進みたい。「他人から見てどうか」ではなく、「自分に何ができるか」が本質的な価値だと思う。青臭い理想論だが、自分の欲求を抑える自分に耐えられない。
今の自分はこのブログをもっと大きくしたいし、ライティングの力を使って、文章で生きていきたい。発信力を強めたい。
成りたい自分を叶える道は続く。。。