忖度しない、がつきの記録

3年目の社会人が就活・不動産業界・web・ブログ論について語ります。

新卒説明会の座談会に参加したけど、辛口でフィードバックする

先日自分の会社の新卒説明会に、先輩社員として座談会に参加してきました。就職活動が解禁になってから、そろそろ3週間ほどが経ち、学生がどんな気持ちで就職活動をやっているかは気になります。

人材系の会社には行かなかったですけど、やっぱり採用は気になる。それを一番近い位置で体感できるまたと無い機会なので、今回も少し期待していました。

 

 

いざ座談会がスタート。

ただ学生たちから何も質問されない。自分らの頃はもっと雨あられのように質問を浴びせていたのに。グループワークとかも行った後なので、舌は温まっているはずだが…。

 

やっと質問された。

「なんで海外の部署に行ったのですか?」

 

この3月から異動で、海外の物件を扱う部署に配属になった。行きたくて来たわけではないが、色んな人から認められて配属になったので、かっこいいことは言えないが、それも働くということだと伝えた。だが、学生たちは腑に落ちていない。

 

その後、同期も会社に入った理由や業務内容を説明しているが、どうも学生たちはうわの空。

 

 

質問を切り替えて、現在の就職活動を聞いてみた。

 

「不動産業界は気になっています」

「勉強も兼ねて説明会に来ました」

 

色んな意見が出たが、ここまで来てやっと理解した。

「やりたいことがはっきりしていない」

 

 

 

何故そう思ったのか。

顔つきだ。

 

 

 

 

 

別に人間観察が得意なわけではないが、人の表情や仕草によって自分の行動パターンを変える癖はあるので、人のことを見ながら話す癖はある。

 

そして最近人を見るときにもう一つ大切にしているのが、オーラだ。

 

この人は何かをしでかしそうだ、恐ろしいポテンシャルを秘めているなど、見た時のインスピレーションは大切にするようにしている。

 

 

ただこの日は学生たちを見たときの違和感として、全く覇気がなかった。

 

何がなんでも採用されたい、自分のやりたいことを貫く覚悟、、、

といったものを全く感じないのだ。

 

もちろん、就職活動が始まって間も無いので、そんなに辛くない時期なのかもしれない。

 

 

 

ただ必ずくる。本当に辛い時期。

 

 

内定が取れない。会社を辞めたい。死にたい。

 

 

どう考えてもそれらに抗える顔つきではなかった…。

 

 

 

 

思い返せば、自分も就職活動のときそこまでの覚悟があるかと言われてみても、実際はなかった。それでも「自分」を大切にした。

 

だからこそ彼らが心配なのだ。

自分を変える強さ。苦しいことを乗り越えた事実。

 

 

 

世間では、最近の学生は甘いと言われる。

そしてそれはどの時代でも言われる。

 

個々人では頑張っている奴もいるかもしれない。しかし今の現状では、大概が甘いのだ。

 

 

もっと自分のことを見つめ直しているか、そのために行動できているのか。

 

 

 

 

何が恐いかというと、

たった1時間会話しているだけで、そこまで不安に思わせるほど立ち振る舞いが貧弱なのだ。

 

話を引き出す力、スーツの着こなし、自分のアピール、、、

少し話しただけで、そこまでバレるよと。

 

別に人事でも採用担当でもないけど、そのぐらいはわかりますよと。

 

 

もちろんうちのような、中小企業にそんなに優秀な人材がこないのもわかっている。だが、本気で頑張るなら、いやむしろ世間が思う当たり前を手にしたいのであれば、もっと前のめりにならないと厳しい。

 

 

最後に一番よく質問してくれていた彼に聞いた。

「人材コンサルに行きたいの?」

「はい、やっぱ一番成長できるかもって思うので、」

「本気で不動産の営業より辛いからオススメはしない」

 

半分本音で半分嘘。

 

あの業界はキツい。

成長もできる。

 

だが、今の覚悟と立ち振る舞いなら、まずそのステージにすら立つこともできない。自分を鏡として見つめ直してくれ。

就職活動にPDCAがあれば必ず希望の会社に入れる

19卒の就活が解禁になりました。就活生にとってはESや面接に追われる日々が増えてきますが、今回は私が2年働いてこのネタなら絶対受かるものを紹介したいと思います。

 

 

絶対必要なのはPDCAです。Plan、Do、Check、Actの略ですが流石に知っている人も多いでしょう。ですが、意外とこれをはっきり伝えられる人がいない。

 

自分で課題に対して計画を持ち、やってみる。検証した上で再び何ができるかと問うだけですが、何故できないかというと、検証できる人が少ないんです。更に検証してもそのままの人が多いんです。

 

仮に嘘の話でロジックを通しても、正直嘘で通った選考には全く意味がありません。何故なら学生程度の嘘を見破れない人がいる会社、さらに面接を任される重要なポストの人間が嘘に気付かないレベルの会社なのです。その程度の会社で本当の成長ややりがいを見つけられるのでしょうか?

 

大きな会社なら仕方ないかもしれませんが、むしろ大きな会社ではそういう人間の方が多く、レベルの低い人に囲まれるリスクがあると覚悟しないといけません。

 

 

PDCAを回せる人がいい理由は、向上心があると一目で分かるからです。

 

今おそらく多くの会社(時に向上心があることを良しとしない会社はあるが、そのような会社に新卒で入るのはオススメしない)では、向上心がある学生に対しては高評価を示します。理由としては、まずどの業務・部署でも適応できると思われ、落選フィルターから除外されます。例えば気合だけの体育会系が営業しか厳しいのであるのに対し、どの部署でもできる可能性を持っているのは強みです。

 

またPDCAはロジックと行動量の両者を同時にアピールできるのも強みです。よく理論派か感情派で分けることは多いですが、そもそも両方のレベルが高い人ほど希少な学生は少ないです。人事が求める優秀な学生とは、そのような学生ではないでしょうか?

 

あと、過去にそこまでやったことないという学生は多いです。理論では分かってるけど、実体験がついていかないという状態です。

 

そのようなときはエピソードを跨がせましょう。例えば、大学時代に頑張ったアルバイトの話で、特に頑張ったことがないということでも、高校時代に一生懸命頑張った部活によって勉強など他のことが疎かになったことから、自分のバランスを取れるようなアルバイトを選んだという話の持っていき方をすることで、自分の人柄が見えてきます。

 

もちろんそれでも上手くいかないことはあるかもしれません。ただ、そこでもPDCAを回すのが重要です。何がダメだったのかを検証して、次どのような言い回しにするかを考え実行することを繰り返していくうちに、自分の考えが固まります。

 

正直、自分をどう見せるかも就活では大事なテクニックです。よくありのままの姿を見たいという人事も増えてますが、就活も立派な営業でいかに自分という商品を買ってもらえるかの戦いです。嘘はいけませんが、上手い言い回しは必要です。

 

就活中もPDCAを回すのは重要です。言ってしまえば、就活でPDCAを回していることをアピールするのもいいかもしれません。

 

ESも面接も結局は言葉の表現です。感覚や運の戦いではありません。しっかり考え抜いて表現して、できなかった自分に向き合えば、必ず結果はついてきます。

忙しいあなたにこそラジオが必要な2つの理由

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皆さんはラジオを聞いたことありますか?車の中で聞いたことあるよという人もいれば、radikoダウンロードしてるよという人も増えてきたと思います。

 

しかし日中ラジオを聞いているという人はどれだけいるでしょうか?商店のBGMやタクシー、車の中で聞くぐらいでしょう。

 

私は中学から高校の頃まで欠かさずラジオを聞いていました。大学の頃は家に電波が飛ばず、聞くのを諦めていましたが、東京に来て最近また聴き始めました。

 

ここではラジオを聞くべき理由とおすすめの番組を紹介したいと思います。

 

ポジティブになれる

ラジオは完全に一方方向のコミュニケーションです。パーソナリティ(司会者)はどうしても明るい話題を提供しないと、番組自体も盛り上がりません。結果的にリスナー(視聴者)からの投稿で明るい番組になりがちです。

 

忙しい人でもラジオは聞き流すことも可能です。誰かと話しているときはさすがにラジオを聴くのは難しいですが、何か作業に没頭しているときなどは気分転換も含めて、リフレッシュになるでしょう。

 

悩みの共有

SNSが発達している近年では悩みやストレスを吐き出す場が増えています。しかし、本当の悩みは吐き出すだけでは解決されないことも多いです。

 

ラジオの番組で投稿した際には、パーソナリティやゲストの方が悩みに対して答えてくれます。また番組によっては逆電といって、電話で直接相談に乗ってくれることもあります。人と話し、自分の悩みをアウトプットし、フィードバックを受けることでより早い解決につながるはずです。

 

おすすめの番組

1.SCHOOL OF LOCK

私がラジオを聴き始めて最初に好きになった番組です。月曜から木曜の22~24時で放送しています。番組名にもSCHOOLが入っている通り、学校がモチーフになっている番組で学生をターゲットにしています。

設定もこだわっており、パーソナリティはとーやま校長、あしざわ教頭(という名前)今流行りのアーティストや女優を迎えるコーナーは「○○の授業」、もちろん彼らは番組内では先生と呼ばれています。

細かいところまで学校の設定にこだわっているところも番組の面白さです。

www.tfm.co.jp

 

2.Skyrocket Company

SCHOOL OF LOCKが学生向けの番組であれば、この番組は社会人向けの番組になります。以前、SCHOOL OF LOCKで教頭を勤めていたやしろ教頭がメインパーソナリティとして秘書の浜崎美保さんと番組を進行しています。時間帯も月曜から木曜の17~19時となっており、夕方の疲れ時に放送しています。

もちろん社会人だけでなく、高校生・大学生のリスナーも多く、社会人のリアルを伝える番組内容になっています。ただ、夕方の時間帯は地方局独自の編成番組を放送していることが多く、全国規模ではないのが残念です。

 www.tfm.co.jp

 

3.あ、安部礼司 BEYOND THE AVERAGE

至って平均的なサラリーマンの安部礼司が神保町の大日本ジェネラルという会社で奮闘するフィクション番組です。この番組のポイントは、至って平均的なサラリーマンが主人公の番組が、かれこれ10年以上の長寿番組になっていることです。時間帯も毎週日曜17~18時と日曜の黄昏時の社会人にとっては月曜に向けてノイローゼになる時間帯なのです。

普通で平均的で、ツボな選曲とくせのあるキャラクターとクスッと笑えて、たまに涙、当たり前の生活の難しさと幸せを思い返してくれる番組です。月曜からの仕事が憂鬱だと思う方にこそ、肩の力を抜いてぜひ聞いてもらいたい番組です。

www.tfm.co.jp

 

まとめ

動画通信サービスの発達などでラジオの存在はより一層薄れかけているかと思います。ただ、最近はスマートフォンアプリのradikoなどで気軽に視聴することができます。ぜひ一回聞いてみてはいかがでしょうか。

radiko.jp

 

あなたは他人によって自分の選択を選ばされていませんか?

言わずもがなの言葉だが、現代は情報で溢れかえっている。ネット技術の発達により、人はいつでもどこでも情報を手に入れることができるようになった。

 

その一方で情報を得る側にとっては、情報を判別する時間が無くなっている。言い換えるならば、自分のためにうまく情報を処理できなくなっている。

 

溢れかえる情報を前に全てを確認することもできず、自然と取捨選択を迫られる。取捨選択の先におそらく「無意識」「熟考せず」に諦めた選択肢も多いだろう。

 

ただその選択には、何が原因で行われているのだろうか?無意識といえども、選択時に最高の手段を持って選択するにあたって、何故判断できるのだろうか?

 

 

 

 

おそらく多くの選択で用いられるのは、「何を選択する」のではなく、「誰に情報を提供されたか」が強い。

 

例えば、同じお寿司屋さんを紹介するにも、友人Aがおすすめするのと、隣の美味しい中華屋の店主がおすすめするのは意味が違う。また隣の美味しい中華屋の店主がおすすめするのと、トランプ大統領がおすすめするのはこれまた意味が違う。同じお寿司屋さんを紹介しても、誰が紹介するかによって、受け取り方が違うのだ。

 

まだお寿司屋さんなら話は楽だ。時に人生において重要な選択を誰が言ったかで決めてしまうときがあるから怖い。

 

特に金融商品や住宅といった高価なものほど、「プロが言ってくれたから安心だ」といって安易に買ってしまう。

 

もちろん得た情報をもとに自分で熟考し、選択しているのならば問題はないが、あまりにも他人の受け売りで選択している人が多いのだ。

 

 

そしてこの問題の最大の根幹は、官僚制だ。

 

日本では社内の判子をもらうにも1ヶ月かかるような企業もある。判子だけならばまだいい。あらゆる選択において、上席の判断を待たないと選択できない社会に仕向けているのだ。

 

思い返せばいつの時代も他人の顔色を伺いながら物事を進ませないといけない。

 

学校は先生の言うことを聞く。部活では先輩の命令は絶対。就活は親やOBがいいと言った会社に入る。会社は上席の判断で白を黒にする。挙げていけばきりがない。

 

幼い頃からそのような環境下に置かれた私たちは、知らず知らずのうちに自分で選択する習慣を忘れているのではないか?

 

 

 

改めて「何を選択するか」を問い直してほしい。そして、「何を選択するか」を考えると「何故選択するのか」に行き着く。その先の「何故」を決めるのはとても難しい。理由は社会に情報が溢れてしまっているからだ。

 

本当に必要な情報は自分から取りに行くべきだし、他人の顔色を見て選択をするのはいけない。

 

「普遍は淘汰される」時代なのだ。

 

2年目の社会人が、就職活動に対して思うこと

2018年になり、19卒の学生にとっては就職活動が現実味を帯びてきました。

新卒の有効求人倍率がバブル期に迫る勢いといわれるものの、就職活動は一筋縄ではいかないもの。なぜか。

 

話は変わるが、新卒3年以内の離職率が3割というデータがあるのだが、実はここ30年変わっていない。確かに毎年それほど多くの新卒社会人が辞めてしまう現象は問題だが、それ以上にこの問題が30年も解消されないことのほうが注目に値する。しかし、そこにこそ今回、これから就職活動を迎える学生に伝えたいことがある。

 

理想の仕事をするならば、起業する方が早い

2年働いて一番実感したのは、「理想の仕事は自分で見つける」ということだ。もう少し細かく言うと、「やってみないとわからない」のである。

小さいころ将来の夢は何ですかという質問をされたことは誰しもあるだろう。スポーツ選手、料理人、公務員などその時代に応じた答えが現れてくるが、一つ共通した概念としては、

「知っている職業しか出てこない」

ことである。

別に知っている職業を夢みることは悪いことではない。むしろ夢や目標に向かって全力で努力することは大切なことである。

 

こと大学生の就職活動になると現状が違う。

様々な選択肢から自分のやりたいことを、プロとしてできることを改めて選択しないといけないのである。

 

そして、小さいころ普通の仕事(サラリーマンなど)とは何をするのかイメージできている人はいるだろうか?つまり仕事をどこまで理解できているのだろうか?小さいこどもに営業とは何ぞや、総務とは何ぞやと質問して理解できている人はどこまでいるのだろうか?

さらに中学・高校でこの問いに対する学習を行う習慣がどこまであるだろうか?

正直、日本のキャリア教育では足りない。

自分がどうなりたいかに対して探求する時間は少なすぎる。

 

だからこそ、いざ就職活動するときまでこの問題はうやもやになる。

 

もちろん企業研究・業界研究は必要だ。しかし、それで働くことのすべてが分かるのだろうか?百聞は一見に如かずの言葉の通り、やってみないとわからない。インターンシップなどで実際に働くなどの体験をしないことには、会社の現実は分からない。また、いざ自分が働き始めるときには、会社・業界・社会の現状が大きく変わり、既存の慣習が通用しないかもしれない。むしろ、今の世界は変化が激しい。日常茶飯事なのだ、そのようなことは。

 

であれば、自分で社会のニーズとは何か、生きていくにはどうすればいいか、とより直結的な問題を提起するならば、起業した方が早い。

 

 

やってみた仕事が天職になる

就職活動時にはどうしても実際に仕事をやっていないわけで、イメージが湧かないことも多い。だからこそ、最初に一生懸命に行った仕事は、天職になることもある。

 

適職診断等で自分に見合う職業は何かと考えることもあるだろうが、もともとの潜在能力で自分の人生が決まるわけではない。潜在能力に経験値が加算されて、自分の立ち位置が決まる。

むしろ、興味のない仕事をやってみたら「こんなこともあるんだ」「こんな観点で物事を見るのか」と新たな発見や知識の習得につながることもある。

私も新人研修のときから口酸っぱく言われたのは、

「おまえは社会人1年生なのだから、まず価値観をありのままに受け入れろ」

という言葉だ。

仕事は価値観の異なる人同士で何かの成果を創り出さないといけない。社会人成りたての赤子にはまず受け入れることから始めろと何度も言われた。

結果的に良かったこと、悪かったこともどちらもたくさんあったが、受け入れなければ何をどのように判断すればいいかも分からなかった。このブログも再開しようとも思わなかった。

天職が見つかるのも同じだと思う。

 

 

まとめ

日本の就職活動は世界的に見ても稀な存在である。元来、採用とはその人が何ができるのかに基づいて評価するものであり、働くことのリアルを知らない学生を採用するのは、完全にポテンシャルに偏ったものである。

いかに自分のポテンシャルをよく見せるのかの議論は多いが、私としては就活生にはそんなことをするべきではないと言いたい。むしろ、働くことはいったいどういうことなのか、またそれを最も具現化できるフィールドはどこなのかを見つけるのが就職活動である。

どうしても学生のうちは見えてこないことも多い。自分なりの答えがあっても、日々変化しても構わない。その可能性に全力で挑むことこそが就職活動である。

ブログ、再開させます

長い間執筆を拒んでいました。

「仕事が忙しい」「ブログ書くことに楽しみを見いだせない」etc,,,

 

ですが再開させます。もっともっとブログを書きたくなったから。

 

 

ブログを再開する理由

改めてブログを再開する理由なのですが、

「今やらなければ一生やらない」

なのです。

 

ブログを始めたのは、就活が終わった大学4年の11月でした。卒論も忙しい時期ではありましたが、それ以上に思っていたのが、

「アウトプット力が弱い」

「自分を表現する習慣をつくらないとマズい」です。

面接やエントリーシートを書く中で、自分のことをうまく表現できないのが辛かったです。当時不動産関係の会社に4月から働くのも決まっていたので、自分の将来に不安を持っていました。仕事をするうえでも、自分の成長のためにもブログをもっと書きたいと思っていました。

 

 

ただ冒頭にも書いている通り、

仕事が忙しくなったり、ブログを書く楽しみなくなっていました。

次第に書くペースは落ち、

気が付けば1年以上も書いていませんでした。

 

でも1年以上も書いていないことが逆に自分に刺激を与えてくれました。

この1年でブログを始めた人が月○○万稼ぎました、○万PV到達しましたとの報告記事をたくさん読んで、いかに自分のブログが中途半端に終わっていたかを実感させられました。

「あの頃の自分の気持ちにもう一度正直になりたい」

と思い返すようになりました。

 

もちろん前回の反省を踏まえて記事を作成する予定です。特に読み手に読みやすい文章は心がけます。

 

 

これから書いていくこと

前回は就活のことについて主に書いていましたが、

就活から2年以上もたった今だからこそ書いていくコンテンツを増やすことにしました。

 

①資産運用

仕事柄、不動産投資に関わることも多く、また仮想通貨などブームもあり、「お金との向き合い方」を以前より考えるようになりました。貯金、投資などおすすめの資産運用に関して書いていこうと思います。

 

②働き方・就職・転職

以前まで書いていた就活のコンテンツを継続・発展させて、働き方・就職・転職について書いていこうと思います。2年今の会社で働いてきた訳ですが、今だからこそ感じること、就活生の目線だけではなく、社会人としての目線も盛り込んでコンテンツを盛り上げていきます。

 

③サッカー・フットサル

以前は書いていなかったのですが、サッカーやフットサルのことにも書いていこうと思います。サッカーは高3までずっと続けており、今も週1でフットサルをしています。「人生はフットボールに通ずる」自分の生き方がサッカーやフットサルに通ずるところもあり、考え方や人生に役立つことも多いので、積極的にアウトプットしていきます。

 

④地方ネタ

高校まで香川、大学は大分、社会人になってから東京、長期出張で松本で暮らし、日本一周も学生時代に経験しました。東京より北の地域にはあまり行ったことがありませんが、地方だからこそわかる情報を提供しようと思います。

 

 

まとめ

いま、私は転職活動に部署異動したて、新たな資産運用も試しており、本当に難しい時期なのかと思っています。ですが、そんな時期だからこそ、やるべきことは

「続けること」

前回中途半端に終わった自分の時計の針をもう一度動かす、自分至上最高の時を更新し続けるためにも、新たな自分の門出します。

【ちょっと疲れたそこのあなたに】やさしさって何だろう?どうしたらやさしくなれるの?

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どうもがつきです。

2017年になってからもう1か月経ちました。私も仕事で部署が変わり、仕事のやり方が変わり、取り巻く環境も変わり、もちろん心境も変わり、より一層自分に正直に向き合う回数が増えました。そんな中で、ふと思ったことがあります。

 

心境の変化

私は毎年、今年の漢字ということで4つの漢字をテーマとして掲げています。今年で3年目ですね。今年は「信」「幸」「超」「結」という4つの漢字を選びました。それぞれ4つにきちんとした動機と考えがあり、今年1年をどのように過ごしていきたいかという意味があります。

その中で、「幸」という字には特段の意味があります。去年は新卒1年目として(今も1年目ですが)、さまざまな事象をありのままに捉える(頭ごなしに否定するのではなく、自分の常識を増やすという意味で)ことを意識していました。どちらかというと、受容的・受け身な考えでした。ですが結果として、受け身なやり方は結果も結び付きにくいうえに、何よりも自分に満足できないのが辛かったです。なので、今年は自分が納得のいく選択をするということを1つテーマに掲げました。

そして、「幸」を自分の中に完結させるだけではなく、自分の周り・他人に提供できる人になりたいとも思いました。さすがに自分だけが幸せになってもつまらないじゃないですか。だったら、他人にも還元したいという意味も含めました。

 

電車で席を譲ったら、ほかの人も譲りだした。

といった上記のことを踏まえて、今回の本題です。「幸」という字のごとく、他人に幸せを届ける、でもそれって並大抵のことではないじゃないですか。だからこそ、ほんの些細なことでも、ほかの人がほんのちょっとでも心が温かくなればそれでいいかなと思えました。

今日も電車で乗っていると、子連れの奥さんがいたのですが、席も1つしか空いてなくて、しかもよりによって自分の隣だけで。もう譲るしかないじゃないですか。最近譲ってもらうことに逆に激昂する人もいるらしいですが、そういうのではなくて普通の親子なので、もういいかなって。なんか奥さんだけ先に座って、こどもは座りたそうだったので。別にその親子のためであれば、それでいいかなって。そしたら、その子はお母さんに急かされながらでしたが、「ありがとう」と私の目を見てまっすぐな気持ちで本心を伝えてくれました。

すると次の駅で、私の隣にさっきまで座っていた若い女性の方が、おばあちゃんに席を譲りました。「気づけなくて申し訳ないです。」その女性がかけた一言は、言葉以上の優しさがあった気がしました。おばあちゃんは「次の駅で降りるんだけどね」とだけ言い残しましたが、言葉以上の満足がその笑みからは滲み出ていました。

もちろん自分が譲ったから、隣の人が譲ったという確証はありません。見方を変えれば、完全な自意識過剰でしょう。でももし席を譲った女性の方が私のことを全く気付かない状態であれば、「気づけなくて申し訳ないです」なんて言葉が出るわけないと思うんです。その女性もだいぶ前から同じ車両に乗っていたので。なんか自分のあげた幸せが、当人だけではなく、周りにも波及するというのは、当人に対しての感情以上に「幸」を享受できると感じました。

 

席を譲られた側の感情

帰り道、そういえば席を譲られた経験ってあったっけと思い返しました。すると、鮮明に思いだした記憶がありました。

あれは私が高校生のころ、サッカーで足を骨折して(松葉杖でした)電車で30分かかる病院から帰っているときのことです。そのときも、心優しい少年(たぶん自分よりも年下)が満面の笑みで席を譲ってくれました。しかも、近くならまだしも、かなり離れたところから。

当時の自分からすると、もう恥ずかしさというか照れくささというか、なんともいえないむしゃくしゃした感情ばかりでした。若気の至りなのか、やはり他人から変に優しくされても、素直に嬉しいと思えないというか。あの頃の自分の感情なんてひん曲がっているのかもしれないですけど。

でも今でも変わらないのは、席を譲ってもらったからといって、何か特段に感情の変化があることはないということです。例えば、何時間も立ちっぱなしともなれば話は別です。ただ、なにか心がちょっぴり温かい気分になるのは変わらないと思います。それを自分の素直な気持ちで受容できるかどうか、それは受け取る本人次第なのでしょう。高校生のころの自分はそれを素直な気持ちで受容できなかった、そして今日私が譲った子は素直な気持ちで受け入れ感謝の言葉を伝えた。ただそれだけの違いです。

 

東京の人は冷たい?いや違うはず!

正直、私は今日の行いがすべて正しいとは思いません。ましてや、今年に入って何回席を譲ったかは分からないし、むしろ席を譲る以外で何か他人に優しくなれた瞬間って何だろうとも思います。毎日反省することもありますし、でも自分をときには認めて、自分のために頑張る毎日です。

よくこんなことを耳にします。

「東京の人って冷たい」

でも、実際にはそんなことないと思います。むしろ多いのは、私と同じように地方から出てきて、自分の居場所やスタンスが発揮できないまま、他人に認められようと反抗的な冷たい態度をとってしまうことなのです。たぶんこれって諸説あると思います。地方から出てくる、あるいは一人暮らしを始めるというのは、「今まであったつながりを断ち切り、新たな自分を見つけようとする」ことの一部じゃないかなと思います。ですが、新たな自分を見つけるということは、当然越えられない壁(もはやそれも自分が思い込んでいるだけかもしれませんが)にもぶつかるかもしれません。その結果、自分をマイナスな感情に陥れて、他人に対しても優しさを提供できなくなるかもしれないということはあると思います。むしろ、それが多くなっている街が東京です。

大阪は逆に、人に対しておおらかと聞きます。道で迷っていたら、自分から聞かなくとも向こうから「道迷ってんの?」と尋ねてくる人もいるらしいです(関西の友達は多いですが、実際に住んだことはないので、確証を持っていうことはできません)。ですが、それでも冷たくあしらう人もいると思います。東京の人間だからといって全員が冷たいわけではないし(むしろ純粋な東京人は心が優しい人が多いと思います)、大阪の人だからって全員がほかの人に寛容的とも思えません。むしろ危険なのは、勝手な思い込みで物事を進めようとする人・社会的なイメージによる悪影響のほうが危険だと思います(ただ、思い込みがすべて物事を悪い方向に進めるわけではなく、善良な方向に導くこともあることは理解しないといけません)。

 

やさしさは相手のことを考えることから始まる

そういえば、3か月前の新人研修で興味深いことを教えていただいたことを思い出しました。「自責」という言葉です。

【自責】

    1. 自分で自分の過ちをとがめること。また、自分に責任があると考えること。「自責の念に駆られる」⇔他責。 

出典:じせき【自責】の意味 - goo国語辞書

研修では、会社や身の回りの事象をすべて自分事として捉えて、解決方法を見つけ出すことを学びました。ただ、自責って物事を如何に他人の視点から見ることができるかが重要だと思います。

少し概念的な話になりますが、経営学や経営戦略論における組織という考え方においては、人間は何らかの組織に所属しているとみなされています。それが会社や学校という公式に区分けされているものもあれば、一緒の電車に乗っている人やラーメン好きな人というはっきりと分け隔てのないものであったとしても、人が複数の集まり出る状態であるときは、組織とみなすことができます(詳しくは『組織論』で検索してみてください)。

参考:組織の3要素とは何か?組織論上の課題とあわせてできるだけわかりやすく説明してみましたがいかがでしょうか?

つまり、人は何らかの組織に属しており、他人に接する機会はあるということです。そして他人が起こした事象に対して、どのような自分で設定したフィルターもしくはレンズ越しで物事を見るか、またそこからどのようなアクションを起こすかということを、常に求められています。自責とは、その物事を積極的に捉えようとし自分で解決する方法を見出すことです。他人に優しくなることって、その自責の考えから始まると思います。他人に起こっている事象(困っている)に対して、自らで解決しようとすることは相手の満足を引き出すことになるのです。

 

他人に優しくなることに、仕事もプライベートも関係ない

正直、他人のためになることを行うことに対して、対価を得ることが一応ビジネスです。一方、対価を求めずに双方の満足度を高めることはボランティアです。

ただ少なくとも、個々人の満足度を高めるのは、自分の満足だけではなく、他人や組織の満足度をあげる行為だと思います。私がユニクロでアルバイトしているときも、CS(顧客満足)=ES(従業員満足)だと教えられました。つまり、組織の外側に働きかけることができる人は、組織の内側にも働きかけることができるということです。

参考:ユニクロでのアルバイトはどのように就活に活きる? - がつきのzaregoto

ただ、これは仕事に限った話ではないと思います。先ほども述べたように、人は誰しも何らかの組織に属しており、他者から何らかの影響を受けています。それに対して、プラスのアクションを起こすのが、何よりも大切です。時には事実が曲げられて、すべてが正しい(正義・道徳的観念)とならない時もあると思います。それでも、人が事実を様々な観点でとらえることができるように、物事の本質を見抜き、プラスを見出す、マイナスをプラスに変えることができると思います。その根本的観念にこそ、「やさしさ」があり、それに向き合い具現化することが、その人の価値につながると思います。