がつきのzaregoto

九州・大分の16卒の就活生が就活のこと、大学のこと、働くこと、などなどとりとめのないことを綴っていきます。

【ちょっと疲れたそこのあなたに】やさしさって何だろう?どうしたらやさしくなれるの?

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どうもがつきです。

2017年になってからもう1か月経ちました。私も仕事で部署が変わり、仕事のやり方が変わり、取り巻く環境も変わり、もちろん心境も変わり、より一層自分に正直に向き合う回数が増えました。そんな中で、ふと思ったことがあります。

 

心境の変化

私は毎年、今年の漢字ということで4つの漢字をテーマとして掲げています。今年で3年目ですね。今年は「信」「幸」「超」「結」という4つの漢字を選びました。それぞれ4つにきちんとした動機と考えがあり、今年1年をどのように過ごしていきたいかという意味があります。

その中で、「幸」という字には特段の意味があります。去年は新卒1年目として(今も1年目ですが)、さまざまな事象をありのままに捉える(頭ごなしに否定するのではなく、自分の常識を増やすという意味で)ことを意識していました。どちらかというと、受容的・受け身な考えでした。ですが結果として、受け身なやり方は結果も結び付きにくいうえに、何よりも自分に満足できないのが辛かったです。なので、今年は自分が納得のいく選択をするということを1つテーマに掲げました。

そして、「幸」を自分の中に完結させるだけではなく、自分の周り・他人に提供できる人になりたいとも思いました。さすがに自分だけが幸せになってもつまらないじゃないですか。だったら、他人にも還元したいという意味も含めました。

 

電車で席を譲ったら、ほかの人も譲りだした。

といった上記のことを踏まえて、今回の本題です。「幸」という字のごとく、他人に幸せを届ける、でもそれって並大抵のことではないじゃないですか。だからこそ、ほんの些細なことでも、ほかの人がほんのちょっとでも心が温かくなればそれでいいかなと思えました。

今日も電車で乗っていると、子連れの奥さんがいたのですが、席も1つしか空いてなくて、しかもよりによって自分の隣だけで。もう譲るしかないじゃないですか。最近譲ってもらうことに逆に激昂する人もいるらしいですが、そういうのではなくて普通の親子なので、もういいかなって。なんか奥さんだけ先に座って、こどもは座りたそうだったので。別にその親子のためであれば、それでいいかなって。そしたら、その子はお母さんに急かされながらでしたが、「ありがとう」と私の目を見てまっすぐな気持ちで本心を伝えてくれました。

すると次の駅で、私の隣にさっきまで座っていた若い女性の方が、おばあちゃんに席を譲りました。「気づけなくて申し訳ないです。」その女性がかけた一言は、言葉以上の優しさがあった気がしました。おばあちゃんは「次の駅で降りるんだけどね」とだけ言い残しましたが、言葉以上の満足がその笑みからは滲み出ていました。

もちろん自分が譲ったから、隣の人が譲ったという確証はありません。見方を変えれば、完全な自意識過剰でしょう。でももし席を譲った女性の方が私のことを全く気付かない状態であれば、「気づけなくて申し訳ないです」なんて言葉が出るわけないと思うんです。その女性もだいぶ前から同じ車両に乗っていたので。なんか自分のあげた幸せが、当人だけではなく、周りにも波及するというのは、当人に対しての感情以上に「幸」を享受できると感じました。

 

席を譲られた側の感情

帰り道、そういえば席を譲られた経験ってあったっけと思い返しました。すると、鮮明に思いだした記憶がありました。

あれは私が高校生のころ、サッカーで足を骨折して(松葉杖でした)電車で30分かかる病院から帰っているときのことです。そのときも、心優しい少年(たぶん自分よりも年下)が満面の笑みで席を譲ってくれました。しかも、近くならまだしも、かなり離れたところから。

当時の自分からすると、もう恥ずかしさというか照れくささというか、なんともいえないむしゃくしゃした感情ばかりでした。若気の至りなのか、やはり他人から変に優しくされても、素直に嬉しいと思えないというか。あの頃の自分の感情なんてひん曲がっているのかもしれないですけど。

でも今でも変わらないのは、席を譲ってもらったからといって、何か特段に感情の変化があることはないということです。例えば、何時間も立ちっぱなしともなれば話は別です。ただ、なにか心がちょっぴり温かい気分になるのは変わらないと思います。それを自分の素直な気持ちで受容できるかどうか、それは受け取る本人次第なのでしょう。高校生のころの自分はそれを素直な気持ちで受容できなかった、そして今日私が譲った子は素直な気持ちで受け入れ感謝の言葉を伝えた。ただそれだけの違いです。

 

東京の人は冷たい?いや違うはず!

正直、私は今日の行いがすべて正しいとは思いません。ましてや、今年に入って何回席を譲ったかは分からないし、むしろ席を譲る以外で何か他人に優しくなれた瞬間って何だろうとも思います。毎日反省することもありますし、でも自分をときには認めて、自分のために頑張る毎日です。

よくこんなことを耳にします。

「東京の人って冷たい」

でも、実際にはそんなことないと思います。むしろ多いのは、私と同じように地方から出てきて、自分の居場所やスタンスが発揮できないまま、他人に認められようと反抗的な冷たい態度をとってしまうことなのです。たぶんこれって諸説あると思います。地方から出てくる、あるいは一人暮らしを始めるというのは、「今まであったつながりを断ち切り、新たな自分を見つけようとする」ことの一部じゃないかなと思います。ですが、新たな自分を見つけるということは、当然越えられない壁(もはやそれも自分が思い込んでいるだけかもしれませんが)にもぶつかるかもしれません。その結果、自分をマイナスな感情に陥れて、他人に対しても優しさを提供できなくなるかもしれないということはあると思います。むしろ、それが多くなっている街が東京です。

大阪は逆に、人に対しておおらかと聞きます。道で迷っていたら、自分から聞かなくとも向こうから「道迷ってんの?」と尋ねてくる人もいるらしいです(関西の友達は多いですが、実際に住んだことはないので、確証を持っていうことはできません)。ですが、それでも冷たくあしらう人もいると思います。東京の人間だからといって全員が冷たいわけではないし(むしろ純粋な東京人は心が優しい人が多いと思います)、大阪の人だからって全員がほかの人に寛容的とも思えません。むしろ危険なのは、勝手な思い込みで物事を進めようとする人・社会的なイメージによる悪影響のほうが危険だと思います(ただ、思い込みがすべて物事を悪い方向に進めるわけではなく、善良な方向に導くこともあることは理解しないといけません)。

 

やさしさは相手のことを考えることから始まる

そういえば、3か月前の新人研修で興味深いことを教えていただいたことを思い出しました。「自責」という言葉です。

【自責】

    1. 自分で自分の過ちをとがめること。また、自分に責任があると考えること。「自責の念に駆られる」⇔他責。 

出典:じせき【自責】の意味 - goo国語辞書

研修では、会社や身の回りの事象をすべて自分事として捉えて、解決方法を見つけ出すことを学びました。ただ、自責って物事を如何に他人の視点から見ることができるかが重要だと思います。

少し概念的な話になりますが、経営学や経営戦略論における組織という考え方においては、人間は何らかの組織に所属しているとみなされています。それが会社や学校という公式に区分けされているものもあれば、一緒の電車に乗っている人やラーメン好きな人というはっきりと分け隔てのないものであったとしても、人が複数の集まり出る状態であるときは、組織とみなすことができます(詳しくは『組織論』で検索してみてください)。

参考:組織の3要素とは何か?組織論上の課題とあわせてできるだけわかりやすく説明してみましたがいかがでしょうか?

つまり、人は何らかの組織に属しており、他人に接する機会はあるということです。そして他人が起こした事象に対して、どのような自分で設定したフィルターもしくはレンズ越しで物事を見るか、またそこからどのようなアクションを起こすかということを、常に求められています。自責とは、その物事を積極的に捉えようとし自分で解決する方法を見出すことです。他人に優しくなることって、その自責の考えから始まると思います。他人に起こっている事象(困っている)に対して、自らで解決しようとすることは相手の満足を引き出すことになるのです。

 

他人に優しくなることに、仕事もプライベートも関係ない

正直、他人のためになることを行うことに対して、対価を得ることが一応ビジネスです。一方、対価を求めずに双方の満足度を高めることはボランティアです。

ただ少なくとも、個々人の満足度を高めるのは、自分の満足だけではなく、他人や組織の満足度をあげる行為だと思います。私がユニクロでアルバイトしているときも、CS(顧客満足)=ES(従業員満足)だと教えられました。つまり、組織の外側に働きかけることができる人は、組織の内側にも働きかけることができるということです。

参考:ユニクロでのアルバイトはどのように就活に活きる? - がつきのzaregoto

ただ、これは仕事に限った話ではないと思います。先ほども述べたように、人は誰しも何らかの組織に属しており、他者から何らかの影響を受けています。それに対して、プラスのアクションを起こすのが、何よりも大切です。時には事実が曲げられて、すべてが正しい(正義・道徳的観念)とならない時もあると思います。それでも、人が事実を様々な観点でとらえることができるように、物事の本質を見抜き、プラスを見出す、マイナスをプラスに変えることができると思います。その根本的観念にこそ、「やさしさ」があり、それに向き合い具現化することが、その人の価値につながると思います。