忖度しない、がつきの記録

3年目の社会人が就活・不動産業界・web・ブログ論について語ります。

自分のブログ史上一番つまらない記事を書く

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どうもがつきです。

松本で働き始めて3か月。そして、東京に戻るまであと5日。8月にこっちに来て、早3か月。今思い返してみると、あっという間でした。そして、東京で働き始めてから半年と1か月。こちらも思い返してみると、とても密度の濃い7か月でした。東京という名の未知の土地での生活、社会人として働くこと、不動産という自分に馴染の少ない業界での仕事。私は常日頃から一定期間で、自分の進捗状況を図るために自分自身の棚卸をやることがあるが、今回の結果は本当にひどかった。

 

つまらない人間になった

まず自分自身の棚卸ってなにと思う方も多いと思うのだが、そのときで自分自身を評価する内容・基準は異なるが、自分自身の過去の行動・実績・指針に関して自分なりに正しいと呼べるものであったか、現在の自分自身のモチベーションを細かく分析、将来の行動をどのように変えずにやる、もしくは変えていくかを評価することである。正直、自分のネガティブなことにまで直接言語化するので、どんなことがあっても他人には見せることができない。

今回、過去の自分、特に入社してから、それと8月の松本に来る前の自分と比較してどのように変化しているかを考えていたが、結論から言うと「つまらない人間になった」と感じた。

もともと他人を惹きつけるような性格や容姿を持っているわけではないし、なにか奇抜なことをするようなタイプではない。周囲の環境として普通に育てればいいという、今考えると甘えみたいなものがあり、自分なりの圧倒的な個性があるとは思えない。

 

しかし、この数か月でその個性のない自分に拍車がかかっていると実感している。

会社・部署の一員として何をしなければならないのか、学生ではなく社会人として自分で生活していくためにどのように自分自身を管理していかなければならないかを意識するようになった。リアリスト・現実主義とも呼ぶべきだろうか。さらに感情で動くタイプでは全くないので、常に思考を止めず、いまやらなければならないことは何だろうと自分に問いかけることも多くなった。

 

独創性の欠如

現実主義は大いに結構なことだと思う。ビジネスの現場では、理想主義だけでは生きていけない。各個人の考えが実際に具現化できるかどうかを落とし込めるかどうかを、常に検証し続けることこそが、仕事においての重要な要素である。

しかし、今の自分は理想を貫くにはあまりにも行動ができていないと思う。自分の実力不足、周囲の環境への不満、趣向性の違いなど、挙げれば枚挙にいとまがないほどの理由は出てくるが、とりあえず自分自身が、ない。ただ単に作業・業務・命令をこなすだけの人間、歯車の一部。これがいけないことも重々承知している。それでも、ここを抜け出すだけのカードを私は持ち合わせていない。それどころか、ここでそれを抜け出すまでのモチベーションを繋ぎ止める自分自身をイメージできない。この会社に身を捧げること、それは自分の選択肢から消え去った。

 

というのも、自分の頭脳で仕事ができないのが一番辛い。しかも営業に興味がない。営業は自分の工夫を反映できる仕事ではあると思うが、不動産の営業には実際にやってみてより一層興味が無くなった。不動産の営業では、販売・仕入れのどちらの立場でもルーティン的な作業が多い。両者には確かに志向性の違いはあるが、自分自身で工夫をできるものが少ないと感じた。

 

自分の履歴書を考えると、全然面白くない

話は戻って自分自身の棚卸になるが、棚卸の目的としては自分自身を再認識することとこれからの自分のベクトルをどこに向けるかを整理することである。

はっきり言うと、この7か月間では何か爪痕を残せたかというと、全くない。特に結果がないのは辛い。業種として1年に一度契約があれば御の字と呼ばれる相場であり、上司としても結果を期待していない感が強い。もう誰のために仕事しているのか、何のために仕事しているのかを本当に忘れてしまいそうになることが多い、というよりも1日に1回はそれを考えてしまう。

今の環境を抜け出すためには、爪痕が必要なのは分かっているが、社会に通じるファクターとしてなにもないのが辛い。環境から抜け出すときに、何も持たずに無一文で抜け出すことも考えるが、今の自分にできるのだろうか。

 

 

今回、改めて不毛なことを綴ってしまったことを謝罪したいです。ただ、自分と同じ境遇にいる人、もっと苦しい境遇にいる人になにか伝わることがあれば幸いかなと思います。