がつきのzaregoto

九州・大分の16卒の就活生が就活のこと、大学のこと、働くこと、などなどとりとめのないことを綴っていきます。

あなたは他人によって自分の選択を選ばされていませんか?

言わずもがなの言葉だが、現代は情報で溢れかえっている。ネット技術の発達により、人はいつでもどこでも情報を手に入れることができるようになった。

 

その一方で情報を得る側にとっては、情報を判別する時間が無くなっている。言い換えるならば、自分のためにうまく情報を処理できなくなっている。

 

溢れかえる情報を前に全てを確認することもできず、自然と取捨選択を迫られる。取捨選択の先におそらく「無意識」「熟考せず」に諦めた選択肢も多いだろう。

 

ただその選択には、何が原因で行われているのだろうか?無意識といえども、選択時に最高の手段を持って選択するにあたって、何故判断できるのだろうか?

 

 

 

 

おそらく多くの選択で用いられるのは、「何を選択する」のではなく、「誰に情報を提供されたか」が強い。

 

例えば、同じお寿司屋さんを紹介するにも、友人Aがおすすめするのと、隣の美味しい中華屋の店主がおすすめするのは意味が違う。また隣の美味しい中華屋の店主がおすすめするのと、トランプ大統領がおすすめするのはこれまた意味が違う。同じお寿司屋さんを紹介しても、誰が紹介するかによって、受け取り方が違うのだ。

 

まだお寿司屋さんなら話は楽だ。時に人生において重要な選択を誰が言ったかで決めてしまうときがあるから怖い。

 

特に金融商品や住宅といった高価なものほど、「プロが言ってくれたから安心だ」といって安易に買ってしまう。

 

もちろん得た情報をもとに自分で熟考し、選択しているのならば問題はないが、あまりにも他人の受け売りで選択している人が多いのだ。

 

 

そしてこの問題の最大の根幹は、官僚制だ。

 

日本では社内の判子をもらうにも1ヶ月かかるような企業もある。判子だけならばまだいい。あらゆる選択において、上席の判断を待たないと選択できない社会に仕向けているのだ。

 

思い返せばいつの時代も他人の顔色を伺いながら物事を進ませないといけない。

 

学校は先生の言うことを聞く。部活では先輩の命令は絶対。就活は親やOBがいいと言った会社に入る。会社は上席の判断で白を黒にする。挙げていけばきりがない。

 

幼い頃からそのような環境下に置かれた私たちは、知らず知らずのうちに自分で選択する習慣を忘れているのではないか?

 

 

 

改めて「何を選択するか」を問い直してほしい。そして、「何を選択するか」を考えると「何故選択するのか」に行き着く。その先の「何故」を決めるのはとても難しい。理由は社会に情報が溢れてしまっているからだ。

 

本当に必要な情報は自分から取りに行くべきだし、他人の顔色を見て選択をするのはいけない。

 

「普遍は淘汰される」時代なのだ。