幸せは2種類存在する
どうもがつきです。
本当に最近寒いですね。松本いたときより寒い気がする。それに乗じて人肌寂しい季節も近づいています。
目次
幸福感には2種類ある
世の中には2種類の幸せがあると思うんです。むしろ、その幸福の求め方は人種分けできるぐらいに。1つは些細なことで幸せを感じることができる人、もう1つは悲観論で物事を考えてなかなか幸せだと言い切らない人。性善説と性悪説の対比に近い構図かな。人生がいつもハッピーっていう人と、人生の大半はつまらないっていう人です。
些細なことで幸せになれる人
私も最近こっち派の人間になってきました。例えば、今日は晩御飯に大好きなプリンを食べれて幸せだとか、いつもの通勤の電車にイケメンがいてテンション上がったとか、人によってはどうでもいいことですが、その人にとっては幸せになる要素がある瞬間なのです。
このタイプの人は、幸せの沸点が低いと思います。「はっ?プリンごときで幸せになれんの?銀座や六本木で高級ディナー食べないと、晩御飯とは呼べないわよ」「電車でイケメンを見たですって?本当のイケメンは都内の一等地にタワーマンション買ってくれるような男よ!」なんて人もいるかもです(沸点が高い人がみんなこんな訳ではないと思いますが)。つまり、身近な些細な事に喜びを感じることのできる感受性の強い方とも言えるでしょう。
夢追い型の人
幸せの沸点が低い人と対極にあるのが、夢追い型の人だと思います。私は元来このタイプです。
このタイプの人に関してはいろんな議論があると思います。「夢ばかり語って何もできない」「結局口だけでしょ」みたいな人もいるかと思います。しかし、本当の彼らは強い精神力があります。自分の夢や目標のためであれば、目の前の誘惑や欲求をすべて遮り我慢することができます。未来のために今の自分を投資することができる人です。それがゆえに、今目の前にある些細な幸せが転がっていても、たとえその先が茨の道であっても、見向きもせず自分の道を進むことができるのです。
折衷案ではなく、両者併用すること
今まで私は後者のタイプだったので、前者のいつでもハッピーみたいな人を見下すこともありました。ただ、ここ数年で前者の生き方の人、後者で自分よりも圧倒的に壮大な夢を掲げ実行する人をたくさん見てきました。
結論として、どちらも兼ね合わせる人が一番強いのです。遠い未来のために行動し、日常の満足度を上げる。両者は矛盾する相容れない関係ではありますが、今と未来という時間はつながっているゆえに、両者が相関する関係でなければならないのです。今は未来の自分の幸せを支えるために存在し、将来の自分は今の自分がベースとなって決まる。その一方で、今の幸せを求めない人が人間として深みのある人間と呼べるのでしょうか。