忖度しない、がつきの記録

3年目の社会人が就活・不動産業界・web・ブログ論について語ります。

変わるもの、変わらないもの

こんにちは。

今は大分ではなく、私が生まれてから高校まで過ごした

香川に帰省しています。

お昼にうどんを食べて、おなか一杯の中で書くブログです。

 

変わりゆく街並み

 私の実家は高松市の中心部から、車で30分ほど離れた三木町というところにあります。車がなければ、とても交通の便が悪い、ど田舎です(笑)

 そのため、昨日今日と車でドライブすることが多かったのですが、大きく感じたのは

 

 「以前まであったものが無くなっている…」

 

 まず、高校の体育館が新築工事を初め、部活終わりによくパンを買っていた近くのドラッグストアもなくなっていました。感情論でものを言うのは嫌いですが、ぽっかり空いた空地は、青春そのものを剥ぎとるように、なにか物悲しさを醸し出していました。

 

 さらに琴電(高松の私鉄)の瓦町というターミナル駅のビルのデパートも知らぬ間に閉店していました。

 ここのデパートは福岡でいうパルコ、大阪でいう阪急梅田、東京でいう池袋の西武百貨店のような、大規模なビルで、経済的にも衰退している高松の中でも、活気のある地域の1つでした。

 

 しかし、現在リニューアルオープンに向けて改装工事を行っていますが、地元のすれば、もうあの大きなテナントビルが1年も閉鎖されており、商業地域としての魅力がなくなっているのかもしれません。

 いま、そのテナントビルから10分ほど離れた、公園で記事を書いていますが、三連休にも関わらず、以前の街の輝きはどこに消えたのだろうかと目を疑うほど、活気がなくなっています。

 

 

■戻る場所がない

 母校の高校にも親しみが無くなってきています。

 自分らの世代を受け持ってくれていた先生は、ほとんどが転任し、今の高校に残っているのは、私が知っているのは2人ほどになってしまいました。

 

 また、この前中学の友達が、3年の頃の担任の先生と会ったと言っていましたが、最初担任の先生は友達のことを思い出せなかったようです(ちなみに私のことは完全に忘れているようでした)。

 その友達はとてもキャラが濃かったのですが、年月とともに先生の記憶から消えていったのでしょう。

 

 もう自分らの世代のことをはっきり覚えている人が、この街に何人残っているのかすら気になる次第でした。

 

 

■変わらないもの

 ですが、そんな中でも変わらないものもありました。

 それは人との「縁」です。

 

 昨日も中学のときのクラスメイトと会って、一日中遊んでいました。うどん食べて、こんぴらさん登って、行きつけの料亭でご飯を食べてました。

 彼らとは、みんな高校も違うので、別々になってからもう7年目です。私以外みんな高松で働いているので、会う機会は私が大分から帰ってきた時しかありませんが、それでもどんなに急なスケジュールであっても、みんな私に合わせてくれます。

 

 くさい表現ですが、何度も喧嘩して、お互いのことを嫌っていた時期もありましたが、地元で一番信頼できるかけがいのない友達です。出会った時から、このつながりは多少方向性が曲がった時があっても、決してなくなることはなかったです。

 

 また家族の存在も同様でした。

 

 

■変わりゆくものを受け入れ、変わらないものを大切に

 私が大分で過ごし、就職活動にいそしむ合間に、変わってしまったものは多々あるはずです。たぶんいま見えているもの以外にもたくさんあるでしょう。

 

 だからこそ、私は「今」に留まりたくないです。

 

 特に香川の人は保守性が強いと思います。私の主観ですが、今までの慣習や財産を大切にしすぎる節があります。これについてはまた書きます。

 

 就職活動を通して、改めて日々前進すること、自ら新しいものにチャレンジしていくことが重要だと気づかされました。

 正直、いろいろ変わっても、私の生まれた香川県は住みやすいところです。

 この環境に甘えることなく、チャレンジしていくこと

 そのチャンスを与えてもらったことと、ここまで繋げて頂いたたくさんの社会人の方には改めて感謝しなければならないと思いました。

 

 ここが、「私」という物語のRe:startとなることを誓って、終わりにしたいと思います。